どうも、芋ころりんです。

今回は、周りの反応や、自分の気持ちについての話です。
前回の話はこちらからどうぞ。


見えなくても、悲しい私


生命のはじまりはいつか

「こどもができる」とか、「親になる」とかって、どの瞬間から思うんでしょうね?

やはり、検診で心音を聞いたときなんでしょうか?
それともつわりなどで体調の変化を感じたとき?
あるいは実際に生まれて腕に抱いたときでしょうか?

父親と母親では、期待も悲しみも違うものなのでしょうか?
あるいは同じ?

昔、大学のゼミで「生殖と科学」というテーマで議論をしたことがありました。

教授「あなたたちは体外受精を希望している人だとします。夫の精子と妻の卵子を体外で受精させました。あなたたちはその受精卵について、どこから生命が誕生していると思いますか。どこから自分の子供だと思いますか?」そう問いかける教授。

それに対し、「受精した瞬間から」「受精卵を体内に移植してから」という意見が多かった生徒たち。

教授「本当にそうですか?受精卵を見て『わぁ、私達のこどもだぁ!』と思うのですか?実際に生まれて腕に抱いたときには子供だと実感するでしょうが、まだ人間としてなんの形にも現れていない受精卵をみてもあなたたちは本当にそう思うのですか?」

教授は、授業の一環なので論を詰めることで私達の考えを深くしようとしているだけで、我らを挑発しているわけではない(笑)

でも、詰められたら意見を言わなくなる子がほとんどだった。
みんな頭では本当のところ分からないのだ。良心で答えているようなもんだった。

私も同じだったが、最後に一言、「まだ人間の姿でなくても、自分たちのDNAにより生物学的に生命が誕生したならば、その瞬間から「自分たちのこどもになるであろう存在」として特定された特別なものとして意識すると思います。」と加えたのを覚えている。

教授「そうですか。」

そのときは、答えなどなくて、意見を伝えあって終わった。

妊娠したとわかってからこのことを何度が思い出した。

妊娠初期は体調の変化こそあれど、姿を見られるわけでもなければ、胎動を感じるわけでもない。
赤ちゃんがいると肯定してくれるのは検査薬の反応や、内診の写真などで、全部外部からの告知なのだ。

情報であって、体感ではない。
このとき、どれくらいの人があかちゃんの生命を意識するのだろうか。

そして、それがなくなったとき、喪失感はあるのだろうか。

悲しみは、ほんもの


私の場合、心音を聞く前に流産と診断された。
胎嚢があり、赤ちゃんが生まれる可能性の原型はあったが、実態がないような感覚。

あかちゃんの存在を感じたのか、自分自身でさえ本当のところわかっていない気がする。

まだ心音さえ聞いていないんだ、本当に悲しいのか?感傷に浸ってないか?なんて自分に問いかけてみた。けれど、誰がなんと言おうと悲しかった。

流産と診断されてこんなに泣くなんて自分が一番びっくりしました。たとえ姿を確認できなくても、お腹の中にいるという事実が、私を一瞬でもママにさせてくれてたんだなぁ。会いたかったんだなぁと自分の気持の変化に気づいた。


励ましが8割


悲しい気持ちの自分はよそに、周りの反応は意外だった。

体感的に、辛かったねと共感しくれる人2割:よくあることだから大丈夫と励ましてくれる人8割といった感じでした。

中には、そうなんだー…ショックだよね?と尋ねられたり、あら、、頑張れ!と立ち去る人もいたりと、そんなかんじ?とこちらが拍子抜けしたことも。。笑

でもそれが世間の反応なんだろうなと思いました。所詮他人とかそういうことではなく、本当によくあることなんだろうなと。言わないだけで、初期流産している人はたくさんいるんだろうなと。

実際、私が、必要最低限の人に話しただけでも、自身が流産経験ある人が2人、身近な人が流産経験ある人が2人もいた(9人中。男女両方、両家の両親含む)。

ネットでは、妊娠を経験した人全体の3割の人はなにかしらの流産を経験していると書いていて、そんなに多いの?と半信半疑だったが、身近な人にもたくさんいて驚いた。

自分は稽留流産となりもちろん悲しかったですが、「大丈夫!まだ若いしチャンスはこれからよ!前向きにね!」という周りの反応に少し元気をもらったりしました。自分としても、前に向くしかないなと思うようになり、手術にもちゃんと向き合うことができました。

ただ、一方で思うのは、初期流産でこんだけ悲しいのだから、中期の流産や死産はどれほどに辛いだろうかということ。

私なんかではきっと想像もできない。

少し考えただけでも辛い。 

お腹の中で成長する我が子を感じ、出会う日を待ち焦がれてながら時を過ごした方が、その望みが叶わなかったときの絶望たるや、本当に想像するだけで心が苦しいです。

そう考えると、ただ街中ですれ違うどこの誰だか分からない人でさえ、そして自分さえ、奇跡の塊なのだなぁと思います。

少しだけれど自分自身、妊娠による身体の変化を知って、匂いに敏感になるので人混みが辛いこと、電車の揺れや立ち続けることが腰にいつも以上にくることなど、妊婦さんの体調の大変さを知ることができました。

日常が大変になる苦労を知ったからこそ、もし、街角で、妊婦さんに限らず、気分悪そうにしている人がいたら優しくしてあげたいなぁと思います。