どうも、芋ころりんです。

10 妊娠、そして2度目の流産の続きです。
今回は再び余談です。

2度の流産を通して溜まっていた不満やモヤモヤについて自分の中で答えが出たので書いておきます。参考になれば幸いです。

第三者の同意は本当に必要か
 
未成年者の場合、第三者の同意が必要
私は、1度目も2度目も、自分が流産したことを誰にも話したくなかった。

夫とだけ悲しみや苦労を分かち合いたかった。

けれど実際は両親に話した。流産手術をするにあたり、病院から「第三者の同意」を求められたからだ。

1度目の流産のときに通っていた産婦人科では、流産手術をするために、本人・配偶者に加えて第三者の同意が必要だと言われた。

どうして第三者の同意が必要かと看護師に聞くと、「実際は日帰りですが、入院という形で処理しますので・・・」との返答。

入院だから第三者の同意が必要だというロジックがわからない。日帰りなのに入院で処理する意味も分からない。

だが同意をもらわないと手術してくれないようなのでもらうしかなかった。

なので、自宅から近い義母にサインをお願いした。

1度目も2度目も義母は本当に心から 私の気持ちに寄り添ってくれた。正直、「よくある」流産のことで、悲しみにくれてはいけない…と自分の気持を抑えていたので、泣いて心配してくれた義母の優しさに私は救われた。だから義母にはとても感謝している。

ただ、それをあえて棚上げさせてもらうと、この 「第三者の同意を必要とする」行為はひどく私を傷つけた。

なぜ結婚し同居し子を持つことを希望している20代後半の男女が妊娠し流産になった場合に、わざわざ第三者の同意を得る必要があるだろうか、甚だしくナンセンスだと思うし、同意を求める行為に私は憤りを感じる。

いい歳した大人が責任を持って妊娠し何の悪意も落ち度もなく流産した場合、なぜ2人だけの意思で手術を受けることができないのか。全くもって理解し難い。

後日聞いた話ではあるが、その病院は県内でも人気で多くの妊婦が訪れ、その中には若い年代の方が望まない妊娠をし中絶手術をすることも少なくないらしい。そのため、第三者(親)の同意を得ること(親と話をつけておくこと)を必要としているとか(あくまで噂レベルですが)。

いや、それはわかるよ、でもさ、そのケースとはワケが違うやん?

なんで同意書を1種類にする必要があるかね?せめて未成年者用の同意書と、成人用の同意書の2つくらい用意したらどうなんや?

すべての事例を1つの同意書で処理することに私は疑問を感じる。

第三者の同意を得る必要があったので、私は必然的に義親に事を話し、そうなれば片方の親だけというのもどうかと思うので実親にも話した。

ちなみに、双方の親とは仲がよく、決して双方の親が嫌いとかそういう意味ではない。ただただ誰にも話したくなかったのだ。

妊娠したことすらまだ話していなかったのに、流産したことを告げなければいけない。

どうしてわざわざ親を悲しませる必要があるだろうか。私はそのことも辛かった。

もろもろの印象を踏まえ、あの病院には二度と行かないと思う。

夫婦の同意だけで良い病院もある
2度目の妊娠をし、2つの病院にかかり、その両方で手術をしたが、どちらの病院も夫婦の同意だけしか求められかった。

緊急時用に第三者の連絡先を書く必要はあったものの、よっぽどのことがないと連絡はいかないし、その第三者に話をしておくかどうかは二人に任せられていると思う。

なので、もし仮に、残念なことに流産となり手術が必要になり、病院から第三者の同意を求められたとして、あなたが夫婦だけの心にしまっておきたい場合、病院を変えれば良い。

胞状奇胎や子宮外妊娠など緊急に手術が必要な場合を除けば、転医するくらいの時間は許されている。

センシティブな問題につき

親に言うか言わないか
結論、言いたいならば言えばいいし、言いたくないなら言わなくて良い。これに尽きる。

私達夫婦では意見が違った。

私は誰にも言いたくなかった。夫は双方の両親には報告していた方が良いと考えた。

多分どちらも正解である。どちらも間違っていない。
あとはふたりの気持ち次第である。

きっと自分が親の立場であれば、話してくれても嬉しいと思う。娘を預けた親としても、きちんと報告をしてくれる義息子の方が誠実だと思うだろう。

私は言いたくなかったが、「言う方が良いのかもしれない」「隠そうとする私は家族に対し他人行儀なのかもしれない」とだんだん思いはじめ、最終的には話すことにした。

だが結果的に言ったことを後悔している。「後悔している」というと重すぎる表現かもしれない。後悔していると言うよりは「最初から最後まで、そして今も言いたくはなかった」という方が適当か。

自身の内に秘めて置きたかった理由は、外部に話すことで自分自身が傷心し続けることにある。

流産したことを話すとき(義親、実親)、手術することを伝えるとき(義親、実親)、手術が終わったことを話すとき(義親、実親)、それぞれの話をした後に会うとき(義親、実親)、体調を気遣ってくれるとき(義親、実親)、周りが妊娠したとき、気遣わせているかもしれないと思うとき(義親、実親)、見舞金をもらうとき…

1人または夫婦2人だけが知っている場合と、親や他人まで知っている場合とでは、話題に「触れる」場面や、言葉には出さずとも互いの頭によぎる場面が、指数関数的に増加する。

そして流産をした本人にとって、その回数が増えるたびに心がすり減っていく。

おおげさかもしれない、でも事実なのだ。おおげさだと思うのであれば、あなたはまだ流産した人の心を理解できていないだろう。

他人の優しさも励ましも気遣いも、実際それらを受けているかどうかに関わらず受けていると感じること自体が、当人には辛いのである。

本来は向けられた善意に感謝すべきなのだろうと思う。

本来ありがたいはずのことにまで、素直に受け止められない自分に嫌気がさすし、相手に対し申し訳なく思う、そのループがまた自分を追い詰めていく。

まるで紙やすりで心を撫でるように、他人の優しさが心を少しずつ擦り削っていく。

何も知らない祖父母に「孫楽しみにしてるよ」と言われる方が何百倍気持ちが楽なことか。
事情を知っている人に気遣いをされるたびに心をどこかに追いやりたくなる。

もう大丈夫と笑うたび、心配してくれてありがとうと言うたび、紙やすりで撫でた心の一部は砂となって欠けていく。

本当の意味で何もない状態、二人だけの中でのみの問題としてある場合の方が、触れる回数は少なく、心の治癒も早い。

…あくまでもこれは一個人の意見に過ぎないが。
各当事者によって希望は変わるので、本人の意向を聞き大切にしてあげてほしい。

だまっていていい
先にも述べたが、言いたいならば言えばいいし、言いたくないなら言わなくて良い。本当にこれに尽きる。

もしも、言わなければいけないのだろうか、と得体の知れない義務感・責任感に苛まれている人がいるとすれば、それは気にしなくていい。

話すかどうかは夫婦の自由意志だ。

夫婦の気持ちを尊重すれば良い。

最後に:正解などないから
長々と、傷ついてきた自分はまるで被害者のような口調ぶりだが、そういうつもりはない。

両親に言うことは最終的には自分で決めたことだし、私の体を心配してくれた夫・親たちには本当に感謝している。

ただ、決めた当時の私には分からなかった。

言ったほうが良いのか、言わなくても良いのか、他人はどうしているのか、世間一般的にはどうなのか…

調べた結果、言う人の方が多かった。

それでも黙っておきたいと思う自分はわがままのように思えたし、家族に距離を置くドライな人間のようにも思えた。

自分の気持に素直に従って良いのか分からず、気持ちの整理がつかなかった。

だから同じような人がいたら、「自分たちの好きにしたら良い」と伝えたい。

世間的には…一般的には…というのは関係ないのだ。

至極個人的なことゆえ、個人の気持ちを大事にして良いのである。

隠すことに後ろめたさなど持たなくて良い。

話すだけが仲の良さや親密度を表すものではない。

家族や友人等、仲良く信頼していても話さないことがあっても良い。

決まりなどない。

以上、今回はそういう話でした。